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Posted by さがファンブログ事務局.

「セイジ -陸の魚-」 。観てから原作読みました。

予告編やシエマHPの紹介文で気になったので、セイジを観ました。

あわただしく過ぎていく日常の中で、「僕」が20年前の夏に向かって車を走らせるところからスタート。たどり着いたのは、HOUSE475というドライブイン。

20年前の夏、「僕」は、自転車で気ままな一人旅。そこで、酒屋の軽トラと事故って怪我をし、治療のために連れて行かれたのが、475。

そこは、寡黙なセイジが任されている店で、夜な夜な、常連が集まり、酒をのむ場所。個性的な仲間たちの中で、ついつい棲みついた「僕」は、セイジの寡黙さや謎めいた行動、動物保護団体との生き物に対する考え方の違いの主張などを通して、段々とセイジに関心を持つようになります。

そんな中、セイジがかわいがるゲン爺の孫リツ子に惨劇が。無差別殺人犯が、リツ子の両親を殺害し、目撃したリツ子も左手を切断されてしまいます。

ショックで植物人間のようになったリツ子、それまで自宅に神様を祀り毎日手を合わせていたゲン爺も、それを斧で壊し、人間は何のために生まれるんだ、リツ子はこういうことのために生まれてきたのか、と神を恨み、セイジにことばを投げかけます。

475の常連がリツ子を元気づけようとする中、セイジはどうしてもリツ子のもとへ行こうとしません。でも、「僕」を乗せていくためにリツ子の家に行ったセイジは、ゲン爺から頼まれリツ子の前に。セイジの顔を見ても、変化のないリツ子。そんなリツ子を見てセイジは、・・・。

ふたたび、20年後。475を訪ねた「僕」の前には、成長したリツ子が素敵な大人になって現れました。

観終わって、原作の辻内智貴の小説「セイジ」を読みました。原作より、映画のセイジは寡黙で、設定も原作にはない親を殺して少年院に入っていたという設定。ゲン爺も原作は樵で、自転車事故もないし、リツ子との再会場所も東京の保育園だったり、10年前だったり、結構変えてありました。映画と小説で、セイジのイメージはかなり違いました。

あさって、8日(金)まで。
  


Posted by シロクロアリス. 2012年06月06日17:28 | Comment(1)