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バリアフリー映画祭で“天国からのエール”
11月25日から昨日27日まで、佐賀市でバリアフリー映画祭が開催されました。障碍者の方も楽しめる映画ということで、字幕はもちろん、シーンごとに風景や人の動きなどのアナウンスが入ります。
私は映画祭を締めくくる“天国からのエール”という映画を観ました。沖縄本部町。バンド活動に熱中する高校生3人組。でも、大きな音を拒絶され、学校での練習もダメ、「使っていいよ」と言ってくれた弁当屋さんの倉庫も結局ダメに。
練習する場所がなく意気消沈する3人。それを見て「そんなことくらいであきらめるな」と叱るニイニイ。ボーカルの女の子から、その言葉にきつい一言「スタジオもないような街にしたのはお前たち大人だ」
その言葉でミュージシャンになる夢半ばで事故死した同級生を思い出すニイニイ。そして、自腹でスタジオ建設を始めます。
家族の反対、高校生の半信半疑な目。その中で一人もくもくとブロック積を続けるニイニイ。段々、手伝う高校生が増えていきます。そして完成。そこは単なるスタジオではなく、挨拶や礼儀を教えるいわば道場になります。
バンドには途中で投げ出していたギターの子が加わり、本格的に活動を開始。プロになる夢を応援するために、昔の喧嘩相手に頭を下げ、「セミになる」ニイニイ。
ようやく陽が当たり始めた矢先に、ニイニイを襲う病魔。私のツボを刺激する展開です。大雨の中、スタジオの雨漏りが心配で病院を抜け出すと、そこには自分たちで一所懸命に屋根を覆ったり、機材を避難させるたくさんの高校生。
そして、とうとうニイニイは帰らぬ人に。その悲しみで音楽祭のステージに立っても歌えない彼女。観客から「頑張れ」、そしてニイニイの子どもと奥さんから「頑張れ」。うたった曲は、事故死したニイニイの同級生が志半ばで世に出せなかったうたでした。
バリアフリー映画は、難しいなと思いました。風景などの説明が正直気になるし、無言や風の音だけのシーンなどなどに意味を込めたものがあると思うのですが、そういう場面が製作者の意図と違ってしまうこともあるだろうと思います。
そういうことと、障碍者の方が映画を楽しむことをどう両立させればいいのか。
私は映画祭を締めくくる“天国からのエール”という映画を観ました。沖縄本部町。バンド活動に熱中する高校生3人組。でも、大きな音を拒絶され、学校での練習もダメ、「使っていいよ」と言ってくれた弁当屋さんの倉庫も結局ダメに。
練習する場所がなく意気消沈する3人。それを見て「そんなことくらいであきらめるな」と叱るニイニイ。ボーカルの女の子から、その言葉にきつい一言「スタジオもないような街にしたのはお前たち大人だ」
その言葉でミュージシャンになる夢半ばで事故死した同級生を思い出すニイニイ。そして、自腹でスタジオ建設を始めます。
家族の反対、高校生の半信半疑な目。その中で一人もくもくとブロック積を続けるニイニイ。段々、手伝う高校生が増えていきます。そして完成。そこは単なるスタジオではなく、挨拶や礼儀を教えるいわば道場になります。
バンドには途中で投げ出していたギターの子が加わり、本格的に活動を開始。プロになる夢を応援するために、昔の喧嘩相手に頭を下げ、「セミになる」ニイニイ。
ようやく陽が当たり始めた矢先に、ニイニイを襲う病魔。私のツボを刺激する展開です。大雨の中、スタジオの雨漏りが心配で病院を抜け出すと、そこには自分たちで一所懸命に屋根を覆ったり、機材を避難させるたくさんの高校生。
そして、とうとうニイニイは帰らぬ人に。その悲しみで音楽祭のステージに立っても歌えない彼女。観客から「頑張れ」、そしてニイニイの子どもと奥さんから「頑張れ」。うたった曲は、事故死したニイニイの同級生が志半ばで世に出せなかったうたでした。
バリアフリー映画は、難しいなと思いました。風景などの説明が正直気になるし、無言や風の音だけのシーンなどなどに意味を込めたものがあると思うのですが、そういう場面が製作者の意図と違ってしまうこともあるだろうと思います。
そういうことと、障碍者の方が映画を楽しむことをどう両立させればいいのか。
Posted by シロクロアリス.
2011年11月28日18:02
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