「芸術を知ったとき、監獄は牢獄になった」だったかな?

「芸術を知ったとき、監獄は牢獄になった」だったかな?「塀の中のジュリアス・シーザー」を観ました。80分弱の短い映画でした。

冒頭、劇場での「ブルータス、お前もか」の場面から始まり、観客が一斉に拍手をして劇が終わり、囚人たちは自分の独房に戻ります。そして、6か月前に遡ると、そこからはモノクロでした。

シーザー役やブルータス役など、出演を希望する囚人たちがオーディションに臨み、配役が決まりました。役者が、素人として役者のオーディションを受ける役を演じるというのは難しいのでしょうか?

さて、そこからは、出演しない囚人たちも、練習に引き込まれ、刑務所の中がローマ時代に。詳しい解説は、末尾のシエマHP記事に任せます。

最後、カシアス役(?)の囚人が独房に戻り、つぶやいた言葉が「芸術を知ったとき、監獄は牢獄になった」(ちょっと不正確かも)。これがテーマなのかな、と思ってシエマを後にしました。

監獄と牢獄ってどう違うのでしょう。人生は芸術を知ることによって豊かで、まったく別のものにあるということなのかな、とは思いますが、彼は演劇と言う芸術に触れたことで、監獄から牢獄になって、より過去を悔やみ苦しんでいるのか、刑務所の中にあっても生きる悦びを得たのか、どっちなのかな?

(以下、シエマHPより)
レビッビア刑務所の重罪犯が演じる
シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」

世界に冠たる巨匠監督の地位を確立したパオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟が、2012年ベルリン国際映画祭でまたも世界を揺るがす作品を世に送り出した。 実在の刑務所に服役中の囚人たちが演ずる、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」をカメラで捉えた『塀の中のジュリアス・シーザー』である。 ベルリン映画祭では見事に金熊賞グランプリ、エキュメニカル審査員賞も併せてW受賞に輝いた。 タヴィアーニ兄弟の全映画人生の集大成とも言える、マジカルな演出によって創り上げられた映画の奇跡。2012年映画界を代表する傑作がいよいよ日本公開となる。

イタリア、ローマ郊外にあるレビッビア刑務所。ここでは囚人たちによる演劇実習が定期的に行われている。 毎年様々な演目を囚人たちが演じて、所内劇場で一般の観客相手にお披露目するのだ。 指導している演出家ファビオ・カヴァッリが今年の演目を、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」と発表した。 早速、俳優のオーディションが始まり、ブルータスが、シーザーが、キャシアスが…配役が次々と決まっていく。 演じるのは重警備棟の囚人たち。本公演に向けて所内の様々な場所で稽古が始まる…。 ほどなく囚人たちは稽古に夢中になり、日常生活が「ジュリアス・シーザー」一色へと塗りつぶされていく。 各々の監房で、廊下で、遊戯場で、一所懸命に台詞を繰り返す俳優たち=囚人たち。 それぞれの過去や性格などが次第にオーバーラップして演じる役柄と同化していく。

そのとき、刑務所自体がローマ帝国へと変貌し、現実と虚構の境を越えていく、映画ならではのマジカルな瞬間が訪れる―。




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