街なか映画館の思い出(セントラル編)
このセントラルの思い出は、比較的新しい。
2005年に公開された倉内均監督作品映画「佐賀のがばいばあちゃん」である。
この倉内「がばいばあちゃん」の業務試写が行われたのが、セントラルだった。
県内で撮影が行われている時は、プライベートで手伝っていた。
ロケ地を求めて福岡県の秋月や熊本県の上熊本駅に行った時も仕事を休んで付き合った。
ちょうど3列シートのボックスカーを買ったばかりで、スタッフの皆さんを乗せて移動した。
業務試写とは、ある程度編集が終わって、音楽まで乗せた上で、劇場で実際に見てみるというものだ。
県内の政財界の皆さんが招待されていたが、スタッフの方々からお声がかかり、見せていただいた。
あのシーンはあの場所で、このシーンはこの場所で、と全く映画を見る意識ではなかった。
半分ぐらい進んだころだったろうか、ちょっとした異変に気付いた。
多くの方が、鼻をグスグスと、ハンカチを持って、泣いている。これは、何かが違うぞ、と思った。
公開時点では、九州各県で先行上映で広島、大阪、東京の数館だけが決まっているという寂しい状態だった。
ところが、九州各県での観客動員がすごく、その情報から日本全国で一気に上映館が決まっていった。
ほぼ全国の都道府県で上映されたらしい。
興業収益も残念ながらベスト10に入らなかったので、あまり注目は集めなかったが、割と10番台に位置していた。
この辺が佐賀県の映画らしいと思った。
県内では、映画館のない地域向けにとホール上映が展開され、各地で満員状態だったらしい。
どこか忘れたが、西部地区では、人が入りきれずに、3回の上映を急きょ4回にしたという話をきいた。
後でスタッフの方に聞いた話だ。地名のついた映画はヒットしにくいというジンクスがあるらしい。
そこで、編集の段階で、配給サイドから「佐賀の」をとって欲しいとの強い要請があったとのことだった。
その時に、倉内監督が「この映画は、佐賀県の皆さんに支えられて完成した、まさに佐賀県民映画だ。「佐賀」を取ることには応じられない。」と突っぱねたそうだ。
しばらくは、出張したり、県外の方と話をするときに、がばいばあちゃんと佐賀北甲子園優勝のネタで困らなかった。
2005年に公開された倉内均監督作品映画「佐賀のがばいばあちゃん」である。
この倉内「がばいばあちゃん」の業務試写が行われたのが、セントラルだった。
県内で撮影が行われている時は、プライベートで手伝っていた。
ロケ地を求めて福岡県の秋月や熊本県の上熊本駅に行った時も仕事を休んで付き合った。
ちょうど3列シートのボックスカーを買ったばかりで、スタッフの皆さんを乗せて移動した。
業務試写とは、ある程度編集が終わって、音楽まで乗せた上で、劇場で実際に見てみるというものだ。
県内の政財界の皆さんが招待されていたが、スタッフの方々からお声がかかり、見せていただいた。
あのシーンはあの場所で、このシーンはこの場所で、と全く映画を見る意識ではなかった。
半分ぐらい進んだころだったろうか、ちょっとした異変に気付いた。
多くの方が、鼻をグスグスと、ハンカチを持って、泣いている。これは、何かが違うぞ、と思った。
公開時点では、九州各県で先行上映で広島、大阪、東京の数館だけが決まっているという寂しい状態だった。
ところが、九州各県での観客動員がすごく、その情報から日本全国で一気に上映館が決まっていった。
ほぼ全国の都道府県で上映されたらしい。
興業収益も残念ながらベスト10に入らなかったので、あまり注目は集めなかったが、割と10番台に位置していた。
この辺が佐賀県の映画らしいと思った。
県内では、映画館のない地域向けにとホール上映が展開され、各地で満員状態だったらしい。
どこか忘れたが、西部地区では、人が入りきれずに、3回の上映を急きょ4回にしたという話をきいた。
後でスタッフの方に聞いた話だ。地名のついた映画はヒットしにくいというジンクスがあるらしい。
そこで、編集の段階で、配給サイドから「佐賀の」をとって欲しいとの強い要請があったとのことだった。
その時に、倉内監督が「この映画は、佐賀県の皆さんに支えられて完成した、まさに佐賀県民映画だ。「佐賀」を取ることには応じられない。」と突っぱねたそうだ。
しばらくは、出張したり、県外の方と話をするときに、がばいばあちゃんと佐賀北甲子園優勝のネタで困らなかった。
Posted by 勝手にシエマ応援隊.
2010年02月17日12:46
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