問題作「私が、生きる肌」

問題作「私が、生きる肌」このタイトル、どう読むのでしょう?映画を観終わってもわかりません。「私が生きる、肌」と読点を変えてみても、やっぱり・・・?

それでも、タイトルからは、肌にこだわる女性が整形手術とか皮膚の移植だとか、そういうことにこだわる中で何かが起こるものとばかり想像していたのですが、まったく外れてしまいました。

映画が始まってしばらくは、どういう話かつかめません。しばらく経ったところで、6年前の事件が回想されて、ようやく理解できます。

妻を悲惨な形で亡くした外科医。たった一人の娘も、ようやく心の病が回復して退院した矢先に暴行未遂に遭って病気が再発し、自殺。妻への思いと娘の復讐が、とんでもない方法で実現されます。ここを書いてしまうと、映画がつまらなくなるので書けません。

それにしても、この外科医の家族、生い立ちの設定もすごい。そして、外科医の心の変遷がまたすごい。

観終わって、これが自分の身に起こったらどうするんだろう?と、ありえないシチュエーションなのに、つい考えてしまいました。ようやく逃げ帰った家で、事実を知らされた母親も複雑な気持ちでしょうね・・・。と何のことやらわからないコメントで終わりにして、みなさんが観に行きたくなることを期待します。

(以下、シエマHPより)
天才的な形成外科医ロベルは、画期的な人工皮膚の開発に没頭していた。彼が夢見るのは、かつて非業の死を遂げた最愛の妻を救えるはずだった“完璧な肌”を創造すること。あらゆる良心の呵責を失ったロベルは、監禁した“ある人物”を実験台にして開発中の人工皮膚を移植し、今は亡き妻そっくりの美女を創り上げていくのだった・・・。

『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』『ボルベール〈帰郷〉』の“女性賛歌3部作”を始め、深遠にしてバイタリティ豊かな愛の物語を次々と世に送り出し、希代のストーリーテラーの地位を揺るぎないものとしたペドロ・アルモドバル。このスペインの巨匠が放つ『私が、生きる肌』は、かつて誰も観たことのない究極の問題作。愛に狂わされ、神をも恐れぬ禁断の実験に没頭する男と、このうえなく数奇な運命をたどるヒロインの姿を、めくるめく官能と戦慄に彩られた映像美の中に紡ぎ出す。これは崇高なる愛の奇跡か、狂気に駆られた悪魔の所業か。すべての答えは、この問題作のあまりにも数奇な全貌を見届けた観客に委ねられている。




この記事へのコメント
この映画、観たいような、観ると恐いような、と煩悶している間に、近隣は上映が終わってしまいました。
ペドロ・アルモドバル監督の映画って、どんどんどぎつくなるような気がしています。
シロクロアリスさんのお話を聞いて、また観たいような観ると恐いような…。
Posted by ぽてち at 2012年09月27日 00:06
そういえば、怖い映画は苦手なんですよね。でも、怖いにもいろいろな形があるので、この映画がツボにはまる怖さかどうか?ちなみに、写真の女性の赤い線は、人工皮膚のパーツの形を示した線です。と聞くと、怖いですか・・・
Posted by シロクロアリス at 2012年09月28日 17:19
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