今まで考えなかった視点。「この国の空」

戦争映画はできるだけ見ようと思っています。この夏は、シエマで「野火」も見ましたが、「この国の空」はこれまでの戦争の視点とは違った映画でした。

昭和20年。東京大空襲があって、東京は焼け野原。戦局も一億総玉砕の声も聞こえてきて、これまで召集されなかった人にも、いつ赤紙が来るかわからないといった状況です。

主人公は、子供や若い男性がいなくなった東京に暮らす若い女性、里子。母親とふたり暮らしです。隣には、38歳の銀行員。丙種で年齢もいっているので、召集されたことはありません。でも、戦局が戦局だけに、自分にも赤紙が来ることを恐れています。

これまで考えなかった視点というのは、里子という若い女性のこころと身体です。自分の身の回りに、恋愛の対象となる若い異性がいない(そういう環境を自ら選択したわけではなく、戦争によって自分の意思とは関係なくそういう環境に置かれた)人にとって、戦争は、身体が大人になる、異性への関心が出てくるといった人生のそういう大切で短い時期を奪うものでもあったということです。

「野火」の訴える戦争の悲惨さとはまったく違う意味の戦争の残酷さでした。

ところで、遅ればせながら、ちょうど浅田次郎さんの「終わらざる夏」を読んでいます。こちらにも丙種で40歳を過ぎて召集される登場人物がいて、終戦間際に召集される人・家族の心情が書かれています。

日曜日のお昼に行きましたが、私のほかはすべて女性のお客さんでした。女性の関心が高いテーマかも知れません。今まで考えなかった視点。「この国の空」


(シエマHPより)
1945年、終戦間近の東京。
19歳の里子(二階堂ふみ)は母親(工藤夕貴)と杉並区の住宅地に暮らしている。
度重なる空襲に怯え、雨が降ると雨水が流れ込んでくる防空壕、
日に日に物価は高くなり、まともな食べ物も口には出来ないが、健気に生活している。
妻子を疎開させた銀行支店長の市毛(長谷川博己)が隣に住んでいる。
里子の周りでは日に日に戦況が悪化していく。
田舎へ疎開していく者、東京に残ろうとする者...。
戦争が終わると囁かれはするものの、すでに婚期を迎えた里子には、
この状況下では結婚などは望めそうもない。
自分は男性と結ばれることなく、死んでいくのだろうか。
その不安を抱えながら、市毛の身の回りの世話をすることがだんだんと喜びとなり、
そしていつしか里子の中の「女」が目覚めていくのだが──。



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