「海峡 1890」 一筋の明るい光のような映画

パリの悲惨なテロ。世界がぎすぎすしている今、一筋の明るい光のような映画です。

先日、佐賀市内で行われた試写会で「海峡 1890」を観ました。

タイトルの1890は、トルコの日本への親善使節団の船が和歌山県沖で台風で遭難し、近くの島の住民が不眠不休で救助活動を行った年を示しています。

まだ船旅が危険だった時代に、はるばるトルコから日本を訪れ、残してきた家族のことを思いながらも相次ぐ台風でなかなか帰路に着けない使節団。ようやく船を出した矢先に、大きな台風が船を襲い、懸命に船を守ろうとする船員の目に映った灯台の灯り。

しかし、船は沈没し、500名以上が死亡。生き残った69名を懸命に救助する島の人々。自分たちは食べるものがなくなっても食べ物をあげ、盗んでいると疑われた高価な品々も実は・・・。日本人の心の清らかさが胸を打ちます。

そして、時代は変わり、イラン・イラク戦争。戦火が迫る中、日本からの救助が来なくて途方に暮れるたくさんの邦人。トルコ政府の暖かい英断でトルコ機に乗せてくれることになったのですが、法人が空港に着くとそこには取り残されたより多くのトルコ人。

自国民よりなぜ異国の人間を助けるのだ、と混乱する現場。議論の末にトルコの人がとった行動は・・・。

見終えて、優しい気持ちになれる、日本人、そしてトルコ人をとても好きになるいい映画でした。「海峡 1890」 一筋の明るい光のような映画


すみません。シエマでは上映されませんが、109シネマで12月5日から上映です。ぜひ、観てください。

(以下、109シネマHPより転載)
1890年の和歌山県紀伊大島樫野。この地に暮らす医師・田村は、貧しい者を親身になって診察することから村民の信頼を集めていた。彼の傍には許婚を海難事故で亡くしたショックから口がきけなくなったハルが、いつも助手として就き従っている。同年9月、日本への親善使節団としての使命を終え、帰路についたトルコのエルトゥールル号は台風に遭遇した。暴風雨の中、船は樫野崎沖で沈没。島中に響き渡る船の爆発音を聞いた住民たちは、岸壁で漂着した膨大な数の死体と船の残骸を発見する。住民は総出で救出活動を行い、田村とハルは救護所でけが人の手当てに追われる。救護所に運び込まれた海軍機関大尉のムスタファは呼吸が止まっていたが、ハルの懸命な心臓マッサージで息を吹き返した。翌日、生き残った乗組員は69名と判明。実に500名以上が犠牲になった大惨事だった。自分が生き残ったことに罪悪感を覚えて苦悩するムスタファは、やり場のない怒りを田村にぶつけた。田村は漂着物を綺麗に磨いて、母国の遺族に返そうとする村人たちの姿をムスタファに見せる。ムスタファの胸には、人を想う日本人の深い真心が刻まれた・・・。




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